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アフリカ(その2)
ジブチに1年余駐在してから、米ソ冷戦時代の代理戦争の場と化していたサハラ以南のアンゴラ共和国に赴任したのですが、そこはまたポルトガルからの独立戦争そして内戦と当時35年間もずっと戦争で平和な時が全く無かった国でした。
生まれた時から戦争で今も戦争…という環境で育った人はどうなると思いますか?
生きるためなら窃盗は当たり前、お金のためなら何でもする・・・。 これはもう、どんな被害に会おうとも「こういう環境で育ったのだから仕方ないよね」と受け入れ許すしかありません。(いちいち怒っていたら卒倒してしまいます(笑))
ところが、です。
アンゴラの病院再建プロジェクト現場は反政府軍管理下の内陸の奥地にあったのですが、ある日、戦乱が及ばなかったジャングルの奥地の村の長老にご挨拶にお伺いした時のことです。
現地のしきたり等よく分からなく、現地人通訳者も特に何も言わなかったので、日本で目上の方とお会いするような感じで面会を済ませました。
そうしたら面会後に通訳がなんと「どこで我々のマナーを学んだのですか? 感心しました」と驚いたように言うのです。 そういえば帰り際に長老が暖かい目で「持っていきなさい」とバナナの大きな房をくれて、それもお辞儀しがてら丁重に頂きました。
この体験から、やはり人類は皆根底は一緒なんだと実感したものです。 すなわち、敬意・誠意・愛情・共感・思いやり・・・
表面上の文化風習・価値観は違えど(時によっては不快に感じる風習であっても)根底に流れる「人」としての心の源は全く同じ。
そしてこれは何も国際的な異文化間のみならず、日本国内においても言えると思うのです。 人それぞれ生まれ育った環境・幼少期の体験といったものから、時には「何あの人!?」と訝ったりしても、その人のバックグラウンドを知れば「ああ、分かるよ」と受け入れられるものではないでしょうか?
まさに「知るは愛のはじまり」という言葉の通りですね。
これは「共感的知性」とも言われ、知識・ノウハウ至上主義の昨今の教育界・ビジネス界においても、その重要性を指摘する声が高まりつつあります。
自分とは違う考え・意見であっても、まずは頭から否定せずに受け入れ共感できる知性こそが(弊社においては「超健康」をもたらすものとしても重視していますが)、これからのVUCAと言われる新時代に求められるものだと切に思う次第です。